初恋かな?
我が家に古い一枚の写真があります。
多分小学校4年生の頃、学年全員で写したキャビネ版の写真です。
多分と言うのは私は6年間同じ教師で持ち上がり、写っている教師の顔は同じなので学年がはっきりしません。
戦争が終わって7か月後 小学校入学 クラスは4つ 生徒数は160名前後
撮影が始まり 前から5段目に立った私、何故かいつも一緒のクラスメートはいなく一人でした。
まだいろいろな物資が不足しており私は母手作りの長袖の濃いブルーのスモッグを着ています。
季節は多分秋 それも少し寒さを感じる頃の様です。
「人数が多いからもっと隣とひっついて!」と写真屋のおじさんに言われ隣の子と肩が付くほどよりました
その時です!!! 隣の男子と肩が触れたとき、何故か私の動悸が激しくなりました。
隣を見ると初めて見る男の子 割と大柄で隣の友人と肩を組んで笑っていました。
名前も知らず、初めて見る顔 なのに私は吐きそうになるほど激しく動悸がやみませんでした。
多分転校生だったのでしょう。
そのセピア色した写真がなければ忘れてしまったでしょう。
その写真を見るたび、あのときめきを思い出すのです。
その後 彼が誰か、どこから来たのか・・等 探すこともなく終わりました。
多分何らかの事情で短期間転校生として同じ小学校に通っていたのでしょう。
明るく人を引きつける魅力がある男子でした。
これが私の初恋です。 これって初恋て言えるのでしょうか??
今から 50年あまり前、会社勤めのサラリーマンは55歳が定年というのが多いでした。
その頃に高校同期の会長から「月に一度くらい集まらへんかぁ〜」と呼びかけがあり
大阪なんばの先輩のお店で集まる事になりました。
新制高校になって10年 テンクラブ と名付けて発足しました。
予約など必要なく10日にくれば誰かがいる倶楽部です。
女性の友人に誘われて参加しました。
当時は男性ばかりで、女性の参加をとても喜んでもらいましたが、それからもう27年経ちます。
未だに月一のテンクラブは続いています。
酒を酌み交わしながら、高校当時の思い出話から世界情勢まで幅広く話題豊富です。
その話の中で今だから言える、と言う話題があります。
それは誰が誰を好きだったとか、内緒で付き合っていたとか、ラブレターを出したとかもらったとか・・
へぇーーと驚く事が多いのです。
しかし・・・話を聞いていて気が付きました。
私だけが好きな男の子もなくラブレターを出したことももらったこともなかったのです。
寂しい様な、悲しい様な・・・
友人達は「皆、かつら(私の事)を怖がっていたからやぁ」と慰めてくれるけど、それだけではない気がする。
小、中、高と悪で親分と言うあだ名で呼ばれ男の子を引き連れて ぶいぶい してた私、
誰からも女性として見てもらってなかったのかも・・
高校入学して二年先輩にとても可愛がってもらった (たしか・・彼はすでに一年留年していたと思う)
柔道部に属していて髪はぼさぼさ、腰にはヨレヨレの日本手ぬぐい、高下駄を履いていて、ばんから学生だった
接点を覚えていないが行動を共にするのが多かった。だから二年先輩の男子学生と多くしりあった。
初めて一緒に夜店に行って屋台に座ったとき 「いつものカルピス」 と言った。私はカルピスが嫌いだった。
甘酸っぱくて飲んだ時カスが口に残る気がした。 困ったなぁ〜〜と思って飲んでみたら味が違った
彼等の間では、どぶろくとビールを混ぜたもので、旨いとは思わなかったけどいつもこれを飲んでいた。
卒業して彼は関大法学部に、二年経って私が卒業して就職 そんな時、彼から連絡があった。
学生のまま山中温泉で漆器屋を手伝っていて、それから私は度々そこに遊びに行った。
仲間の中に蒔絵師がいて、そうそう一度大雪があった。
山中温泉に向かう電車がそれより高い雪のトンネルをこそげながら走った。山中温泉での歴史的大雪だった。
蒔絵師の彼は長屋に仕事場があり屋根の雪かきで一階は埋まり板を渡して二階の窓から出入りした。
私は彼の仕事場が好きだった。一種独特の匂いがあり、薄暗くて静か手元だけほんのり明るくいつも寡黙に筆を走らせていた。
それからしばらくして・・・この棗を頂いた。そして・・しばらくして・こちらにずっと一緒に・・と誘われた。
そんな気のなかった私
なんかすっきりしなかったが、直接断る勇気なくそのままにし何となく山中温泉から遠ざかっていった。
私は40歳を過ぎてゴルフを始めた。そして本コースデビューは加賀カントリー
高校同期の男友達に誘われて久し振りに先輩に逢った。夜の宴会には蒔絵師も昔と同じ笑顔で参加した。
その時、棗をお稽古に使用したので蓋の艶が無くなった事を話すと「送っておいで、きれいにしてやるから・・」と言ってくれたが、そのままにしてしまった。
素材を吟味、乾燥させ漆を塗り、金で線を描く、垂れない様に2〜3本書くと乾燥させ又次の日にとかなり手間が掛かっているらしい。
頂いてから57年、ずっと私と一緒。私がいなくなったらこの棗どうなるのかなぁ〜と思う。