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記事一覧

大麻比古神社

ファイル 364-1.jpgファイル 364-2.jpg
ファイル 364-3.jpg 徳島県の大麻比古神社に参拝に行きました。
明石海峡大橋を渡り瀬戸内の美しい景色を眺めながら・・・

自宅から二時間半かかります。
今回で三度目です。
途中淡路島で昼食を、瀬戸内バーガーです。
一日一食の3000円 売り切れ  1500円も売り切れで普通の地元バーがを食べました

道の駅で沢山買い物を・・団子にアップします。

膝の手術

妹が来て病院に運んでくれました。
医師「すぐ入院して」 私「それは無理」
膝に注射をして痛み止めの薬をもらいMRI検査

5月中旬に膝関節全置換手術をすることに決まりました。
来週から手術準備の為貯血をすることになりました。

1週間後病院に行くと医師「膝に腫瘍らしきものが・・」
圧迫骨折かもしれないし、どちらにしろ5月手術は無理との事で CT 検査と骨密度測定があり翌日結果を聞きに行きました。

幸い腫瘍ではなく膝関節の中に体液やら血液が溜って塊になっていて膝関節の周りにも飛び散っていました。
痛いのを我慢して酷使したのが原因らしい。
安静にして自然に吸収するのを待って7月頃手術の予定になりました。

腫瘍ならば悪性か良性かの細胞検査入院になるところだったのでほっとしました。

3月のリホーム

3月からリホームを始めて中頃に終わりましたが、汚れた部分が目立ち 居間・台所の床・クロスも追加でする事になりました。
これが大変で・・・住みながらのリホーム、するものではないでないですね。
特に道具類の多いところです。
12月肝臓がんを手術した私、心身ともに疲れました。
肝臓を400グラム切除しだけなのに、体幹が傾いています。
その体で道具を運び狭い空間で1日中犬と小鳥と一緒に過ごす。
かなりのストレスでした。
我慢という字を書いて、心では冷たい山の空気を想像して深呼吸
大好きな温泉をイメージして、とあれこれしたけれど疲れ切りました。

3月31日 午前にリホーム終了、午後4時施設に預けていた息子帰宅。
まだ道具類は半分も元に戻せてない状態
帰宅して2日目、息子に夕食を食べさせて立ち上がろうとした私、
痛みといつもと違う膝の状態 立てませんでした。
足の甲が腫れ上がり今までとは違う状態でした。
膝がぬけた様に力が入らずお尻をついて悲鳴を噛み殺し両手でいざって部屋を移動していました。

さくらの季節

ファイル 360-1.jpgファイル 360-2.jpg
今年のさくら 開花が少し遅いでした。
咲き始めから雨が多く曇り空の中の桜になりました。

左の写真は家のすぐそば もう間もなく散り始める満開のさくら
きれいですぅ~~~
右は何でもない道のさくら
今住んでいる所は桜の木が多く町のあちこちでさくらがみれます。
私はさくらの名所より、普段の暮らしの中にあるさくらが大好きです。

体調があまりよくない私 今週は5日も通院です。
黙って我慢 この状態を桜が癒してくれます。。

あーあ

更新が反映されない。
クッキーを削除したり設定を変えたらパソワード入力を・・・と出た。
今年になってパソコンを移動させた。
何しろデスクトップ、重いものが持てないので台車に乗せたりして
あちこち今まで通りで行かなくなった。
さっき書いた団子のページが開かん。。。

もう知らん。。。最近根気がなくなってきた。

覚書

12月10日入院
12日手術 術後様態変化 ICUに12日間 肺気腫
しんどかった 最初の4~5日 あまり記憶なし

1月5日 少し早いけど退院
後も調子悪い。  でも少しずつ回復してる。

入院しました

スマホから投稿です。
初めてなのでちょっと不安

医師、看護師から色々説明あったけど、やはり癌の手術て
大変なんやなぁ〜と、思いました。

もう驚かない

先日忘年会出席出来ない とメールを送ったのに了解の返信がない。
普段の集まりでないので、特別の料理を準備するはず。
気にしながら待っていたのに来ない。
彼に何かあったのか・・・心配がどんどん大きくなってくる。

電話した。出た!まず・・   ほっと、安心。

「あのなぁ~ 連絡しにくかってん。実は・・・」
又友人の訃報だった。
昨日お通夜、今日葬式だったらしい。

在学中 私は彼を知らなかった。
60過ぎて会に出席するようになって、こんな人いたのかぁ~、と思つた。
在学中から温厚で学力優秀 剣道部に所属していた。
私は柔道部とかサッカー部の部員と親しく剣道部にはあまり出入りしていなかった。

とても素敵な人で会で逢うと隣に座りました。
二年程前 欠席が多いので尋ねると少し痴呆があり一人で出かけるのは無理な状態と聞いた。
がっかりしたけどまだ会える機会がある、と思えた。。

そんな経緯があったので会長の訃報ほどショックを受けずに聞けたが、続く寂しさに心が震えた。

意欲

今日病院に行って消化器内科を受診した。
医師は「肝臓がんです。手術した方がいいです。体力があるので」と言った。
私はまるで人ごとの様に聞いていた。淡々と。
来週から又連日検査に通わねばならない。そして外科に回され手術日が決まるらしい。

終わってから川の流れが見える明るい窓際でコーヒーを飲んだ。
私に今、欠けているもの 生きようという意欲がない事だと思う。
がん → 死 以前の様に怖くないものになっていた。
もし死んだら・・・と思ったとき、一番に耳の苦しみから解放される、と思った。
朝起きると大きな騒音を出す工場の中にいる状態、人の話声も聞き取りにくい。ほっとする時がない。寝てるとき以外は騒音という耳鳴りに苦しんでいる。
人の言葉を聞き逃すまいとしているが、騒音の中片耳で聞きとれる音はすくない。
「聞こえたん?」とか 大きな声で来り返し言われる度に私の心は折れている。
何度もこの辛さから逃げたいと思ったけど、ここまでやってきた。
私には人の言葉が半分も聞こえていない。
これから解放される。毎日の掃除、洗濯、食事の支度、息子の介護から解放される。だからながれのままに・・・

後ろ向きだよねぇ~ 息子には責任があるよね。
今もじっと顔を見ていると手を伸ばし私の手を握って眠った。

訃報

22日午後 友人から電話
先日彼から忘年会の知らせをもらって 出席の回答をしておいた。
その事かといそいそ電話をとると、どうも様子がおかしい。
最近彼は滑舌が少し悪そうだが、その時はどうしたのか?と思うほどの感じだった。
「あのなぁ~ ○○君がなくなったんや」 私「え?????」
彼は同じことを来りかえす。私「・・・・・・?」

月曜日 会社に出勤しないので秘書が尋ねると部屋で倒れてすでに亡くなっていたらしい。

私達は新制高校10期の同窓生 還暦過ぎから毎月10日に集まりわいわい酒を飲み思い出話やら国政から世界情勢までを肴に時を過ごしてきた。
彼はいつも皆を纏め、楽しませ引っ張ってきた。
母校の同窓会の会長も長きにわたり務め、母校にも貢献した。
仲間のいつもまとめ役であった。

私の鼓動は高く涙がとまらない。
又電話がなった。他の友人からで私が知らせが来たと答えると、私を気遣い「もういつお迎えきてもしゃない年やでぇ~ 俺もいつ来るかもわからんがな」そして私に「大丈夫か?体気つけやぁ~」

なんといういい仲間に恵まれているのか、よき友に恵まれとても幸せな人生だと思った。
23日 お通夜 行けない。24日葬式 行けない。。。