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記事一覧

無事帰宅

ファイル 322-1.jpgファイル 322-2.jpg
11月の2日から11日までの10日間入院していました。
その時慰めてくれたのが、病室からの景色でした。
夜間目が覚めて眠れない時、カーテンを開けて夜景を見て過ごしました。

今日14日は 私の誕生日 万76歳になります。
ほんと、、ようもったなぁ~~ と思います。

炎のように燃えた若い頃、人も傷つけ自分も傷つきました。
それから障害者の息子を連れての人生、色々ありました。
体も心もよく耐えたと思います。
平均寿命まであと10年程、穏やかに楽しく過ごせたらいいなぁ~と思います。

朝からびっくらぽん

朝4時 ホームページを更新しようと思ったら、あれ????
デスクトップのマイドキュメントファイルがない!
ええええええ!!!!!!

ない! どこを探してもない!
10にバージョンアップしてからだと思うけど・・ない!

自分の作ったもの総て、ここに入っている。
15年のホームページの記録、うううううう。。。

10にしたのでゴミ箱も総てきれいにした。
万事休す

復元ソフトなどを探したが、復元するにはキーを買ってと書いてある。
でも値段が書いてない。こんなの怖くて手が出せない。

外付のバッファロを開いた。毎日夜11時に上書きしているのでないと思っていたら、11月1日を開くと「あったぁ~~」
嬉しくて、嬉しくて、飛び上がりそうになった。。

眠れぬ不安

明日から旅行すると言うのに眠れない。
楽しみに待っていたのに急に不安になった。
旅行が不安なのではなく、最近感じる何とも言えない不安感。
いつも図太い感じで多少の事 鈍感を装いながらずっと暮らしてきた私なのだが・・・・
年のせいか?   ・・・

不安の原因を考えてみると、一番は息子の事だ。
今起きてきて私の横で眠っている。
明日から4泊でショートステイに預ける。
最近体力・気力が衰えて来た私は息子の施設入所を考えている。
それが今の私の心の平静を乱している。

自分の事を出来ない彼を他人の手に委ねようとしている。
ここで暮らす、暮らしたい、と思っているとしたらこれで良いのか?
自分の思いを話せるとしたらどう言うだろうか・・・と、あれこれ思う。
長く生きて彼の人生を見てやる方が大切なんでは? と人は言う。
しかし・・・・そうだろうか?

息苦しくて

先月の末、歯科の予約を待っていて呼ばれて立とうとしてふらっとなって床に膝をついた。
医師は飛んできて どうしたんや?  私 息が苦しい と言った。
脈を診て{酸素!}
酸素吸入をして半時間、かなり楽になったので歯の治療を止め帰宅した。

先日も夜中息苦しく電話を握りしめて朝までベットの傍で座り込んでいた。
この日も朝から呼吸が苦しく朝食は牛乳を飲んだだけ。
息子の手続きで役所、支援センターに行き、午後一番の歯科の予約に行ったのだが、待っているのが辛かった。

その後心臓・血管センターの診察を受ける。
不正脈は激しかったが、心臓そのものより、高血圧・高血糖を告げられた。
朝から牛乳だけなのに血糖値が高く即入院するように言われたが、かかりつけ医と相談すると断った。

帰路、内科医によると又、薬が増えた。
朝夕で10種類の薬を飲んでいる。
いつもだけど説明なし・生活指導なし・・・何とかしないとなぁ~

先日苦しい夜中、娘に手紙をしたためた。
急に死んだりした時、娘が悩まないように。
それで分かったのだが、何て言い残す事がなかった。
ややこしい借金もないし、貸しもない(諦めた貸金はかなりあるが・・それも許そうと思う)
後悔はないことは無い。でも今更取り返せるものでもない。

障害者の息子にはこれから辛い人生になるかもしれないが、それも致し方なかろうと思う。
母としては父亡き後一人で頑張って出来ることはしたつもり。
周囲からやりすぎと言われるほど頑張ったつもり。

友人・知人に恵まれ、やりたいことをしてまぁまぁの人生だったのかも、と思った。
生きて、そしてそのお礼は出来てないかもしれないが・・・・

湊山温泉

ファイル 318-1.jpgファイル 318-2.jpg
ファイル 318-3.jpg湊山温泉に行きました。
お誘いをもらって喜んで連れて行ってもらいました。

お湯が素晴らしいのです。
風呂上がりの肌はさらさらつるつる それが翌日まで持ちます。
私の大好き温泉の一つですが、一人で行くのにはちょっと遠いです。
阪神高速3号神戸線を利用して、渋滞がなくとも45分はかかります。

平清盛も愛した湯 長い歴史を持っています。
一時閉館が言われ署名運動まで起こり 神戸市に買い取りの陳情をしよう、とまで言われたりしましたが、支援者が現れ継続されています。
感謝、感謝です。とてもみんなに愛されています。
一度入るときっと虜になるくらいいい湯です。
温泉と言っても普通の銭湯です。

写真の上二枚は以前写した浴槽です。
今は扉に貼られたシールは剥がされていますが、中は変わりありません。
最近の浴槽 浅いのが多くなりましたが、ここは全部温泉で深い浴槽が
あります。
深い浴槽はお湯の重みが感じられなんとも言えない心地がします。

下の写真は表です。のれんが新しくなりました。
それから駐車場が広く使いやすくなりました。
週一回でも良い この温泉に浸かりたい・・・・・・

湊山温泉ホームページ→

涙はらはら

17日知人を見舞った。
一段とやせ細り大柄なかっての面影はもうなかった。
黄疸の黄色は黒味がかりもう残された時間が少ないとわかった。

今日その娘からラインがきた。
昨日食べたいものは? と聞かれ鱧が食べたいと言ったらしい。
早速準備され「旨いなぁ~」と言いながら二切れ食べたらしい。
食べてすぐ吐き、それと共にかなり吐血したらしい。

彼女は先週、食べたいものをきかれて「ふぐと(ふぐの事)」と言い三切れ食べ「旨いなぁ~ もうすぐ鍋の季節やなぁ~」と嬉しそうに言った。

朝のラインを見て涙がとどめなく流れた。
折々に新鮮な魚を囲み旨い酒を飲んだ、ともに過ごした時間がもうこれからない と思うと寂しくて悲しくて。
それにもし私でもこの時期 最後の食べ物を聞かれたら同じものを言うだろうと思うと猶更切なかった。

医師はこの連休越すのが難しいかも・・と言った。
唸って苦しむのはもう止めて楽にしてやりたい。
寂しくなるけどもう・もう・苦しむのは可哀相。
もういいよ。もういい。楽になり。。。。

心の穴

ファイル 316-1.jpg今日は知人のお見舞いに行ってきた。
私より10歳も若いのに・・・余命一か月・・・・・
黄疸で眞黄色の体を横たえて眠っていた。
色々聞いていたのでどうかなぁ~と、心配だったが割と元気だった。
昨日うどんを少し食べたとかで、目つきに元気があった。

家族が相談のうえ本人には余命を知らせていない。
なので 私は大丈夫と嘘ばっかり並べて病院を出た。
帰路涙が止まらなかった。
心に大きな穴があいて埋めようがなかった。
車を止めて考えた。

帰宅しても誰もいない。
息子をショートステイ、のんちゃんは娘の所に預けた。
誰もいない。
心の寂しさを話す相手も穴を埋めてくれる人もいない。
知人、友人の顔を思い浮かべながらとうとう自宅に着き、朝まで眠られる夜を過ごした。

今年はもう大切な人を何人も送った。
総て私より若い。
これからの私の人生に彼等の笑顔が見れないと思うと無性に寂しい。
もっともっと大切に残りの人生を生きないと・・・
突然終わっても只々感謝のみの言葉で終われるように生きたい。。

苦しい夢

今日、うとうと昼寝をしていて しんどい夢を見た。

以前住んでいたいた家がゆっくりと傾いていくのだ。
建屋は南の端にあって(実際は北で南は庭)北側の土地が陥没してそれに向かってゆっくり倒れていく。
それを私は西隣の家から見ていて 「あらら!!と驚くと家の中に入っていた。
傾いていく家の中で「もう引っ越しているのだから関係ないかぁ~」なんて思いながらも慌てている。
近所の人達が家の中の物をそとに出しているのだが、その人達を避けて私は地下道のようなところから外に出ようとしていた。
両側には真っ白いA4位の紙が高く積み上げられた細い通路を歩いていて、はった目覚めた。
体がぐったりと疲れていて起れなかった。

この家に住んでいる時もしんどい夢を時々みた。
夜中庭が喧しいので窓からのぞくと黒い服を纏った男の人達がいて我が家の二階からロープを垂らし登ろうとしていた。
驚いて私は横に寝ている夫を起こすが起きてくれない。
家の四方から男達が登ってくる。
それが寝室の窓まで届いたとき目が覚めた。
今日と同じ汗をかきぐったり疲れていた。
いつぞやは二階の和室にいて北西の端から家が潰れだした。
からからと音を立てて崩れていく。
目覚めてもその感じが体に残っていてその和室に入るのが怖いくらいだった。

この家は私のお気に入りだったが、事業の失敗と共に失ってしまった。その後もこの家に戻っている夢を時々見たがあれから20年、最近では見なくなっていた。

私はあまり夢をみない。見る時は殆どの場合 これから起きる出来事を予知している。
今日の夢はどういう事なのだろうか?
来週私は頸部の検査を受ける。その結果が悪いのだろうか?
それとも別れた夫の身に良くない事が起ころうとしているのか・・・
今親しい知人がリンパ腫で残された時間が限られている。
私は毎日私よりずっと若い彼女の延命を願っているがそれが叶わないのだろうか。
どちらにしろ良くない出来事の予知には違いない。

もう終わるやん・・

年が明けてもう一月も終わろうとしている。
平成27年 初めての日記 ハハハ・・・・

正月三ケ日は天気も良く穏やかな年明けであった。
11日毎年恒例の新年の会を催しほっとする。
今年は縮小したつもりだったのに、来客は昨年以上に多かった。
50人を超す来客がだんだん体に負担になっている。

18日丹後半島に間人かにを食べに行く。
元々 あまり好きでないカニ 値段の割にと、不満が残った。

40年ぶりにパーマをかけた。
最近頭髪のこし・はりが無くなり前髪が額に垂れる。
これが我慢できない。
生まれてからずっとくせ毛の為、前髪は後ろに。
だから前に垂れると鬱陶しくてたまらない。
軽いパーマで前髪は後ろに・・すっとした。

スマホを変えた アンドロイドから又アイホンに。


今年も健康で穏やかな一年でありたい。。

訃報 2

冷たい頬を撫ぜた感覚が手の中に残っていた。
彼の家を出るとき私のバックの紐が切れた。
一番新しいショルダーバッグ 偶然だけど心をひかれた。

夜 眠れない ベットでごろごろしているが眠れない。
起きて椅子に座る。手を見る。彼の冷たい硬い頬の感覚がよみがえる。

3時過ぎ 傍らの電話のライトがついた。
あれ???? 今ごろ・・・
叔母が亡くなった知らせであった。

最近の叔母 いつその時が来るかも知れないほど体調を崩していた。
その度に私は涙した。叔母と過ごした時を思い出し別れが来ることが辛くて仕方がなかった。

叔母の訃報がきて不思議な事に肩の荷を下ろした感じがした。
もう苦しむ事も思い煩うこともしなくてよいと。

涙よりも物の区切りがついた気がした。
私がこの世でしなくてはならない事柄が済んだ気がした。

そういえば私の母が死に兄が死に残された父が亡くなった時も、長女の私の役目が済んだような気がした。
あの時の気持ちに似ている。

二つの別れ 友引を挟むので通夜も葬儀も同じ日になった。