御由緒
前立社壇、祈願所、峰本社の三社合わせて雄山神社です。 前立社壇は山裾に位置し平野部に近く一番手前に建立されているのでこの名前で呼ばれています。 古来、立山は富士山、白山と共に日本三霊山として信仰されています。 山頂の峰本社は屹立した頑上にあり、冬期間は雪深く登山が至難であったので、山麓岩峅寺に社殿を立て年中の所祭礼を奉仕されてきたと伝えられています。
今から約一三〇〇年前、文武天皇の大宝元年(西暦七〇一年)第十二代景行天皇の後裔、 越中の国司佐伯宿禰有若卿の嫡男有頼公が、白鷹と黒熊に導かれ立山の玉殿岩窟において 「我、濁世の衆生を救はんがため此の山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かせんがためなり」 という立山両権現の霊示を受け、文武天皇の勅命により開山されたのが霊峰立山です。 その立山を神山と仰ぎ、山麓芦峅寺に立山雄山神(立山大宮)、剣岳の刀尾神(立山若宮)の両権現を奉斎する根本中宮をはじめ壮大なる神社仏閣が建立され、岩峅寺にも社殿が建てられて、年中の諸祭礼を奉仕したのである。 有頼公自らは出家して慈興と号し、立山座主として芦峅寺に居を定め、立山信仰の弘宣に生涯を捧げられたのである。
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